Chiyokotobuki Toraya

Oct 06, 2015Lorenzo Simonini

The English translation will be available soon...

寒河江の水が育てた酒づくり

 さくらんぼ生産全国一の山形県。ほかにもぶどう、りんご、梨などの生産を誇る果樹王国の中心にある寒河江市は、西に夏スキーのメッカ標高1980メートルの月山を仰ぎ、北辺をその雪解け水が集まった清冽な寒河江川が流れる美しい街。

その寒河江市で 1696年(元禄9年)、山形市で初代大沼惣左エ門が虎屋を創業、八代目大沼保吉の代になり名声がさらに高まり、当時では驚異的な4,500石の造石をなしたという。山形に二工場を設け、さらに寒河江では元禄末期創業の石山蔵を引き継ぎ増改築を成し寒河江工場として操業させた。 この寒河江の蔵が大正に入り分家独立し、現在の「千代寿虎屋株式会社」となる。

保吉が寒河江に進出したのは、当時、東北の宮水といわれた硬水が随所にこんこんと湧き出ていたこと、また、冷たい寒河江川の灌水地域は丸くて大粒の地方好適米『豊国』の産地であったことがおおきかったという。寒河江の水が酒造用として優秀なことはよく知られていたことであったが、とくに吟醸づくりに最適で、山形の蔵からは毎日のように遠い道程も苦にせず水を運びに来たといわれている。

人口増加とともに水位が低下した20年前からは、仕込水は寒河江川の伏流水となったが、その成分は浅井戸の時代とほぼ共通である。 戦前、近隣の蔵では寒河江川の水を直接大八車で運ぶ程で、川の水自体が酒造に適した水と考えられていたそう。

酒造りに適した米と水の 原点とも言える寒河江川は、まさに醸造家にとって天与の賜といえよう。

米づくり〜原点への回帰〜

千代寿が用いる”豊国”は、文献によると、稲わらが長くもともとは草履表の原料としての位置付けであったが、たんぱくが少なく他の米に比べて大粒で心白が入りやすいと記されている。1990年この復古米「豊国」の種籾を入手した千代寿虎屋は、以来、地元酒米耕作者とともに日本酒の原料である米を選び抜き、最良の米から酒造りを行なっている。現在“千代寿”を醸す酒米はすべて山形県産米を使用。蔵元大沼さんは自ら5月田植えに赴き、秋には豊作祈願をし稲の刈り取りを行なうほどに米作りに情熱を傾けている。

 

More articles